実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(1)幸せとは,自分がすでに十分に幸せであることに気づくことであり,それさえできれば,他者が羨むような社会的成功など収めなくても,誰でも幸せになれる。

 そもそも,幸せとは何なのでしょうか。

 幸せとは,自分が幸せであることに気づくことである,と言います。私たちは本来,生きているというだけですでに十分に幸せなのに,私たちの人生には幸せがぎっしり詰まっているのに,私たちには生まれ付き幸せであるための条件がすべて備わっているのに,幸せであることこそが私たちのデフォルト(基調)なのに(比喩的に言えば,どんなに天気の悪い日でも,雲の上ではいつでも太陽が輝き,青空が広がっているのに),そのことに気づいていないだけなのではないでしょうか。

 実際,生きているということは,よくよく考えてみれば一つの奇跡であり,心から感謝すべき有り難いことです。私たちは,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに対し,心から感謝すべきなのではないでしょうか。

 また,人生は本来ままならないものなのであり,人生に困難や苦労は付き物ですが(誰の人生であっても,例外はありません。),肥大化した欲望(必要以上の物まで手に入れようと欲張る気持ち)やデマに基づく迷信(他者と競い合って財産や地位や権力や名声などを手に入れなければ幸せになれないなどといった迷信)や偏見(拝金主義のような偏狭な物の見方や考え方)などによって心の目を曇らせることなく,幸せに対する感度を高めることさえできるなら,私たちは自分の人生に,困難や苦労を補って余りあるほどの,ほぼ無限と言ってもいいほどの生きる喜びや幸せを見いだすことが可能なのではないでしょうか。そもそも,「(楽は苦の種)苦は楽の種」,「苦を知らぬ者は楽を知らぬ」,「汗を流さずには喜びはない」(トマス・フラー)などとも言うように,困難や苦労があるからこそ生きている実感や手応えも得られるのでしょうし,困難や苦労を乗り越えることでこそ達成感や充実感といったものも味わえるのではないでしょうか。

 さらに言えば,人間の幸不幸は心の持ち方次第であり,境遇(過去の経験や遺伝や環境など)や幸運に恵まれなくても,私たちは,心の持ち方次第で幸せになり,幸せであり続けることができるのですから(たとえどのような逆境にあろうとも,たとえどのような不運に見舞われようとも,自分は幸せであると心の底から思えるなら,その人は確かに幸せなのですから),その意味で,私たちは誰もが,生まれ付き幸せであるための条件をすべて備えているということになるのではないでしょうか。

 自分がすでに十分に幸せであることに気づき,感謝する気持ちを忘れさえしなければ,他者が羨むような社会的(世俗的)成功など収めなくても(むしろ,財産や地位や権力や名声などを手に入れなければ幸せになれないなどといった勘違いこそが,それらに対する執着となって私たちの心の目を曇らせ,心の平安を乱し,ひいては,私たちを,不平不満,妬みそねみ,恨みつらみ,失意失望,自暴自棄といった心理状態に追い込み,私たちが幸せになることを難しくさせているのではないでしょうか。),わざわざ「山のあなたの空遠く」に「幸い」を探しに行ったり,「青い鳥」を探し求めたりしなくても,私たちはきっと,幸せになり,幸せであり続けることができるはずです。

 なお,生きていること(自分が今ここでこうして生きていられること)それ自体が幸せなことなのであり,また,人間の幸不幸は心の持ち方次第なのですから,幸せになり,幸せであり続けるために,他者と競い合ったり,パイを奪い合ったりする必要など,まったくありませんし,自分から手放さない限り,あるいは,命を奪われない限り,私たちの幸せを奪い取ることは誰にもできません。要するに,私たちは誰もが例外なく,生きている限りは,自分の意志や努力次第で幸せになり,幸せである続けることができるということです。