実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 人生は,すなわち,私たちがこの世の中で生きることのできるチャンスは,たった一度きりです。せっかくなら,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいものです。そして,できることなら,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送りたいものです。    私たちの土台を作っているのは,過去の経験,さらに言えば遺伝です。また,私たちが環境から受ける影響もけっして小さくありません。しかし,それらによって私たちの人生のすべてが決まってしまうわけではありません。私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではありません。実際,過去を変えることはできませんが,現在や未来なら,自分の意志や努力によって変えることが可能です。また,環境を自分の思い通りに変えることはできませんが,自分を変えることは自分の意志や努力次第です。どのような過去を持とうが,どのような環境に置かれようが,どのような現在・未来を実現しようとするのか,どのような心構えや心がけで生きていくのかを決めるのは自分なのですから,自分の人生に責任を持つ覚悟や,人生を自分の努力によって切り開いていこうとする強い意志がある限り,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であると私は信じています。        皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(13)自分を人間的に成長・向上させ続けるためには,好きなことを見つけ,そこに見いだした自分なりの目標や理想に近づくための努力を楽しめるということが重要である。

 「好きこそものの上手(じょうず)なれ」,「下手(へた)は嫌いの証拠」(五味太郎)などと言いますが,私たちは,自分が好きなこと(自分が本当に強い意欲を持って取り組めることであり,多くの場合,自分の人生にとって,なくてはならないと感じられること)だからこそ,困難や苦労に挫(くじ)けることなく,辛抱強く努力し続けることができるのではないでしょうか(人間は,どのような困難・苦労であっても,そこに自分なりの意味を見いだすことさえできるなら,喜んでそれらに耐えることができるものです。)。そして,長年にわたって怠ることなく努力し続ければこそ,才能の有無にかかわらず,それなりに上達し,それに見合った成果も得られ,また,自分を人間的に成長(成熟)・向上させ続けることができ,そのことを通じて自分の可能性を十分に花開かせ,実を結ばせるとともに,多少なりとも他者や社会の役に立つことができるのではないでしょうか(「大器晩成」と言うように,大きな器が出来上がるまでには,どうしても長い年月が必要です。)。このように考えるなら,自分を人間的に成長・向上させ続けるためには,自分が本当にやりたいと思える好きなことを見つけ,あるいは,自分がやっていることを本当に好きになり,そこに自分が信じることのできる自分なりの目標や理想を見いだし(自分なりとは言っても,「すべての道はローマに通ず」るのでしょうが。),その目標や理想に一歩でも近づくための努力を心から楽しめるということが重要であることが分かります(努力することを楽しいと思えるようになるためには,自分が好きなことに打ち込めることの有り難さに気づけるだけの想像力を持ち,感謝する気持ちを忘れないということも重要であるとは思いますが。)。

 自分が本当にやりたいと思える好きなことや,自分が信じることのできる自分なりの目標や理想がいまだ漠然としている段階においては,やる気を喚起し,維持していく上において,当面の努力目標を到達可能な範囲に設定することも有効であると思いますし,当面の必要に迫られて行動するというのが,より一般的であるとは思います。しかし,当面の努力目標に到達するために,あるいは,当面の必要に迫られて行動するだけでは,その場限り,その場しのぎになってしまいやすく,困難や苦労に耐えてまで辛抱強く長年にわたって努力し続けるということは難しいのではないでしょうか。自分が信じることのできる自分なりの目標や理想がなければ,物事に優先順位をつけることが難しく,限りある大切な時間やエネルギーを無駄遣いしてしまったり,また,自分が目指すべき方向性が定まらず,行き当たりばったりに彷徨(さまよ)い続けた挙げ句,どこにもたどり着けないまま一生を終えてしまったりすることにもなりかねないので(自分の可能性を十分に花開かせ,実を結ばせることができないまま,たった一度きりの人生に大きな悔いを残してしまうことにもなりかねないので),自分が本当にやりたいと思える好きなことを見つけ,そこに自分が信じることのできる自分なりの目標や理想を見いだすことは,やはり重要なことであると思います(目的地を定めずに歩き回ることにも,息抜きや気晴らしとしての意味はあると思いますが。)。

 なお,何事も嫌々やったところで意味のある成果を得ることはできず,周囲に迷惑を掛けるとともに,ストレスや不満や疲れなどがたまるだけですので(まさに「骨折り損のくたびれ儲(もう)け」です。),仕事など,自分がやらなければならないことについては,嫌々やるのではなく,是非とも楽しみながらやりたいものです(もちろん,反社会的なことや自分の信念に反するようなことは別ですが。)。その気になって前向きに取り組めば,何事にも何らかの楽しさややりがいを見いだせるものです(「石の上にも三年」とも言うように,楽しさややりがいを見いだせるようになるためには,相応の期間,辛抱強く努力する必要があるとは思いますが。)。そして,努力や工夫を重ね,楽しさややりがいをさらに追求していくことによって,自分がやっていることを本当に好きになっていく,あるいは,新たな展開が生じ,新たな道が開かれていく(自分が本当にやりたいと思える好きなことが見つかる),ということはよくあることです。

 また,人生に掲げる目標や理想は,人生の指針を明確化し,自分が進むべき道を明らかにするためのものなのですから,到達・実現不可能なものであっても一向に構いません(したがって,たとえ何歳になろうとも,目標や理想を掲げるのに遅すぎるということはありません。)。むしろ,簡単に到達・実現できてしまうようなものでは人生の指針にはなり得ませんし,簡単ではないにしても,努力次第で到達・実現できてしまうようなものでは,人生の途中で自分が進むべき道を見失ってしまうことにもなりかねませんので,一生かかっても到達・実現できないものの方がいいとさえ言えます。「少年よ大志を抱け」とも言うように,人生に掲げる目標や理想は,大きければ大きいほど,高ければ高いほど望ましいと思いますし(できる限り大きな目標や高い理想を掲げることは,翻って自分の無知さや未熟さを自覚することにもつながりますので,何歳になっても慢心することなく,謙虚に学び,努力する姿勢や,素直に反省する態度などを保ち続ける上においても重要なのではないでしょうか。),自分の意志や努力だけでは近づくことのできない目標や理想(例えば,自分が思い描く理想の世の中を実現すべく努力し続けることや,ある特定の分野で第一人者として認められるべく努力し続けることなど)では,途中で意志が挫(くじ)け,努力を投げ出してしまうことにもなりかねませんので,自分の意志や努力次第で近づくことのできる目標や理想(例えば,自分の生き方をより善い,より人間らしいものに変えるべく努力し続けることや,ある特定の分野の道を極めるべく努力し続けることなど)を掲げるべきであると思います。

 もちろん,自分が掲げた目標や理想に縛られて身動きが取れなくなり,かえって人間的な成長・向上にブレーキが掛かってしまうというのでは本末転倒ですので,目標や理想は,状況の変化などに応じてある程度は柔軟に修正可能なものであることが望ましいと思います。人間が考えることに完璧ということはありません。「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(な)かれ」,「過ちて改めざる是(これ)を過ちという」,「君子は豹変(ひょうへん)す」などとも言いますが,人生に掲げる目標や理想についても,いったん掲げた目標や理想にこだわり,固執するのではなく,常に開かれた心で謙虚に見直し,より善い,より人間らしいものに随時修正していく必要があると思いますし,必ずしも目標や理想を一つに限定する必要もないと思います。目標や理想を一つに限定してしまったら,何らかの理由でその追及ができなくなってしまった場合に,あるいは,その目標に到達し,その理想を実現してしまった場合に,一時的にせよ,人生の指針を失い,自分が進むべき道を見失い,途方に暮れてしまう可能性が高いと思うからです。