実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(6)欲張ることをやめれば,満足することが可能になり,自分は不幸であるなどという思い込みから目を覚ますとともに,自分が幸せであることに気づけるようになる。

 私たちは,どのようにすれば自分が幸せであることに気づけるようになるのでしょうか。

 「足るを知る者は富む」とも言うように,自分の欲望にブレーキを掛けることさえできれば,たとえ必要最小限の物しか持っていなかったとしても,私たちは自分の人生に満足することが可能になりますし,自分がそれらの物を持っていることの有り難さにも気づけるようになります(持っている物が少なく,粗衣粗食の質素でつましい暮らしに慣れているからこそ,自分の欲望を抑えやすいという面もあるのかも知れませんが。)。欲望の奴隷として,より多くの物(必要以上の物まで)を必死になって追い求め続けることもなくなり,また,より多くの物を手に入れようとして他者と競い合ったり,パイを奪い合ったりするようなこともなくなり,心はかえって豊かになります(より多くの物を追い求め続けることは,必然的に,他者(あるいは,他国)を競争相手(敵)と見なし,他者と対立・敵対することにつながっていきますが,より多くの物を追い求め続けることをやめるなら,他者を協力相手(味方・仲間)と見なし,他者との間に協調的かつ友好的な関係を築くことも,より容易になるのではないでしょうか。また,私たちが,より多くの物を追い求め続けることをやめることで,自然環境に取り返しがつかないほどの大きな負荷をかけてしまう危険性も確実に低下すると思います。)。

 したがって,自分が幸せであることに気づけるようになるためには,それが世の中の風潮に逆らうことであったとしても,常に小欲知足を心がけ,たとえそれが必要最小限の物であったとしても,自分が持っている物だけで満足できるように,自分の欲望に自分の意志でブレーキを掛けられようになる必要があるのではないでしょうか(質素でつましい生活は,その価値を得心できないまま他者に強制されれば,ただの貧しくて惨めな生活かも知れませんが,足るを知る人が,その価値を十分に納得した上で自分の自由意志で選択するなら,むしろ,自分が持っている物の豊かさや,自分がそれらの物を持っていることの有り難さなどを実感しやすい,心豊かで味わい深いシンプルライフになり得ます。)。

 そして,そのためにも,暖衣飽食の豊かで安全で便利な生活を享受しつつも,物事が自分の思い通りになることを当たり前と思うことなく,感謝する気持ちを忘れずに,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さ,具体的には,この世の中に生まれてこれたこと(この世の中で生きることのできるチャンスを与えられたこと)の有り難さ,自分の命を守り,自分が生きることを可能にしてくれている自然(人体や宇宙を含む。)の神秘的とさえ言える精妙な仕組みや働きの有り難さ,自分の人生を成り立たせてくれている数知れぬ他者の直接的・間接的な支えや助けの有り難さ,人類史上最も豊かで安全で便利な社会で生活できることの有り難さなどに常に深く思いを致し,その有り難さをしっかり心に刻み付ける必要があるのではないでしょうか(そのためには,その有り難さを痛感する体験を何度も積み重ねる必要があるのかも知れませんが。)。

 また,何を人生の最優先事項にすべきかということを真剣に考えるとともに,普通の平凡な人生の有り難さを再認識し,そのような人生を,無価値な,あるいは,価値の低い人生と見下すようなおごった物の見方を改めたり,財産や地位や権力や名声などに対する執着から解放されて他者との間に協調的かつ友好的な関係を築けるようになったり,人生は自分の思い通りになるなどといった思い上がった考えを捨て(人生を自分の思い通りにしたいなどと欲張ることなく),人生は本来ままならないものであるという事実をあるがままに受け入れられるようになったりする必要があるのではないでしょうか。

 私たちは,自分の欲望の肥大化を放置することなく,自分の欲望にブレーキを掛け,欲張ることさえやめれば(足るを知り,欲望に対する必要以上の執着を捨て去れば),満足することが可能になり,自分は不幸であるなどという思い込みから目を覚まし,自分が幸せであることに気づけるようになるのではないでしょうか。曇りのない眼や心の平安を取り戻し,やがては,生きていることそれ自体に幸せを感じられるようになるのではないでしょうか。そして,「生きてるだけで丸儲(まるもう)け」(さんま)と心の底から思えるようになるなら,私たちはきっと,たとえどのような逆境にあろうとも,たとえどのような不運に見舞われようとも,生きている限りは感謝する気持ちを忘れることなく,「日々是(これ)好日」といった心持ちで,常に満ち足りた気持ちで心安らかに(心豊かに)幸せな人生を送り続けることができるようになるはずです。

 私たちは,自分が持っていない物(必要以上の物まで)を欲しがり,自分がそれらの物を持っていないことに不満を募らせるのではなく,持っている物の多寡にかかわらず,たとえ必要最小限の物しか持っていなかったとしても,自分が持っている物だけで満足できるようになる必要があるのではないでしょうか。自分に与えられている命なども含め,自分が持っている物の豊かさに気づき,自分がそれらの物を持っていることの有り難さ(自分が今ここでこうして生きていられることことの有り難さ)に心から感謝できるようになるなら,私たちはきっと,それ以上に欲張ることが恥ずかしくなるはずです。

 なお,自分が持っている物をできる限り減らして生活してみることは(自分の生活をできる限り質素でつましいものにしてみることは),自分が持っている物の豊かさや有り難さに気づいたり(「すき腹にまずい物なし」とも言います。),人間が生きていくのに本当に必要な物を見極めたり(本当は不必要な物に対する執着を捨て去ったり),欲求不満に対する耐性を養ったりする上において,非常に意味のあることであると思います。しかし,それはあくまでも,感謝する気持ちを思い起こしたり,必要以上の物欲にブレーキを掛けられるようになったりすることにこそ大きな意味があるのであり,自分が持っている物を減らすこと(自分の生活を質素でつましいものにすること)自体が目的なのではありません(手段が目的化しないように留意する必要があります。)。したがって,感謝する気持ちを思い起こして足るを知り,欲張ることなく,たとえそれが必要最小限の物であったとしても,自分が持っている物だけで満足できるようになった暁には,自分が持っている物を減らすことに(自分の生活を質素でつましいものにすることに)それほどこだわる必要はないのかも知れません。不必要な物に執着し,自分がそれらの虜(とりこ)になってしまわないように最大限の用心をする必要はありますが,それらに執着しないでいられるなら,それらを親の敵のように忌み嫌う必要まではないということです。むしろ,自分が持っている物の豊かさや有り難さに常に深く思いを致し,心から感謝しつつ,それらを無駄遣いすることなく,他者や社会のためにも役立つように,できる限り有効活用することこそが重要なのではないでしょうか。