実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

幸せとは,自分が幸せであることに気づくことであり,それさえできれば,財産や地位や権力や名声などを手に入れなくても,誰でも幸せになれる。

 そもそも,幸せとは何なのでしょうか。

 幸せとは,自分が幸せであることに(自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに)気づくことである,と言います。私たちは本来,生きているというだけですでに十分に幸せなのに(生きているということ,今ここでこうして生きていられるということは,よくよく考えてみれば一つの奇跡です。生きているということは,それほどに有り難いことなのであり,心から感謝すべきことなのではないでしょうか。),私たちの人生には幸せがぎっしり詰まっているのに(人生はままならないものであり,人生に困難や苦労は付き物ですが,心の目を曇らせさえしなければ,困難や苦労を補って余りあるほどの生きる喜びや幸せを人生に見いだすことも可能なのではないでしょうか。そもそも,困難や苦労があるからこそ生きている実感や手応えも得られるのでしょうし,それらを乗り越えることでこそ達成感や充実感といったものも味わえるのではないでしょうか。),私たちには生まれ付き幸せであるための条件がすべて備わっているのに,幸せであることこそが私たちのデフォルト(基調)なのに(比喩的に言えば,どんなに天気の悪い日でも,雲の上ではいつでも太陽が輝き,青空が広がっているのに),心の目の曇りゆえに,そのことになかなか気づくことができません。しかし,曇りのない眼を取り戻すことによって,そのことに気づき,感謝する気持ちを忘れさえしなければ,幸運や才能や環境などに恵まれなくても,財産や地位や権力や名声などを手に入れなくても(むしろ,財産や地位や権力や名声などを手に入れなければ幸せになれないという勘違い(デマに基づく迷信)こそが,それらに対する執着となって私たちの心の目を曇らせ,私たちの心の平安を乱し,ひいては,私たちを,不平不満,妬みそねみ,恨みつらみ,失意失望,自暴自棄といった心理状態に追い込み,私たちが幸せになることを難しくさせているのではないでしょうか。),わざわざ「山のあなたの空遠く」に「幸い」を探しに行ったり,目の色を変えて「青い鳥」を探し求めたりしなくても,私たちは誰もが幸せになれるのではないでしょうか。幸せになるために,他者を競争相手(敵)と見なして足を引っ張り合ったり,パイを奪い合ったりする必要などありません。また,生きていることそれ自体が幸せなのですから,自分から手放さない限り,誰も私たちの幸せを奪い取ることはできません。幸せとは,そういうものなのではないでしょうか。