実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 人生は短く,しかも,私たちがこの世の中で生きることのできるチャンスは,たった一度きりです。せっかくなら,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいものです。そして,できることなら,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送りたいものです。  私たちの土台を築いているのは,過去の経験,さらに言えば遺伝です。また,私たちが環境から受ける影響もけっして小さくはありません。しかし,それらによってすべてが決定されてしまうわけではありません。私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではありません。私たちには自由意志というものがあるのであり,過去を変えることはできませんが,現在や未来は自分の意志によって変えることが可能です。また,環境を自分の思い通りに変えることはできませんが,自分を変えることは自分の意志次第です。どのような過去を持とうが,どのような環境に置かれようが,人生を自分の努力によって切り開いていこうとする強い意志さえあるなら,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であると私は信じています。皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!                                                   *なお,このブログの内容のほとんどは,電子書籍(Kindle版『実り多い幸せな人生を送るために』)の形で御覧になることもできます。

【実り多い幸せな人生に関する名言等 616】

「私たちはずっと,進歩を生きてきたと思ってきた。しかし本当は退化を生きてきたのかもしれない。」(『経済成長という病』,平川克美講談社

 

○私たちが暮らしている社会の進歩・発展には,確かに目を見張るものがあります。しかし,社会が進歩・発展した分,私たちは以前にも増して幸せになったと言えるでしょうか。むしろ,社会が進歩・発展するに伴い,自分は幸せであると感じている人が減り,自分は不幸であると感じている人が増えている,というのが実態に近いのではないでしょうか(もしそうであるとしたら,人間の幸不幸という観点からは,社会はむしろ退歩・衰退しつつあるということになってしまいます。)。私たちは現在,人類史上最も豊かで安全で便利な社会で暮らしており,それ自体は非常に有り難いことであり,心から感謝すべきことであるとは思いますが,社会の進歩・発展が必ずしも私たちの幸せには結び付いていないのだとしたら(むしろ,社会の進歩・発展が,何らかの理由で私たちが幸せになることを難しくさせているのだとしたら),これまでの延長線上に社会が進歩・発展し続けることに,いったいどのような意味があるのでしょうか。私たちは,いったん立ち止まり,幸せとは何かということを,私たちはどのようにすれば幸せになれるのかということを真剣に考えてみる必要があるのではないでしょうか。そして,誰もが幸せになれる社会の実現を目指して必要な軌道修正を図った上で,またゆっくり歩き出せばいいのではないでしょうか。(4)(6)(11)(14)(20)関連