「私たちはずっと,進歩を生きてきたと思ってきた。しかし本当は退化を生きてきたのかもしれない。」(『経済成長という病』,平川克美,講談社)
○私たちが暮らしている社会の進歩・発展には,確かに目を見張るものがあります。しかし,社会が進歩・発展した分,私たちは以前にも増して幸せになったと言えるでしょうか。むしろ,社会が進歩・発展するに伴い,自分は幸せであると感じている人が減り,自分は不幸であると感じている人が増えている,というのが実態に近いのではないでしょうか(もしそうであるとしたら,人間の幸不幸という観点からは,社会はむしろ退歩・衰退しつつあるということになってしまいます。)。私たちは現在,人類史上最も豊かで安全で便利な社会で暮らしており,それ自体は非常に有り難いことであり,心から感謝すべきことであるとは思いますが,社会の進歩・発展が必ずしも私たちの幸せには結び付いていないのだとしたら(むしろ,社会の進歩・発展が,何らかの理由で私たちが幸せになることを難しくさせているのだとしたら),これまでの延長線上に社会が進歩・発展し続けることに,いったいどのような意味があるのでしょうか。私たちは,いったん立ち止まり,幸せとは何かということを,私たちはどのようにすれば幸せになれるのかということを真剣に考えてみる必要があるのではないでしょうか。そして,誰もが幸せになれる社会の実現を目指して必要な軌道修正を図った上で,またゆっくり歩き出せばいいのではないでしょうか。(4)(6)(11)(14)(20)関連