実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

自分が幸せであることに気づけるようになるためには,世の中の肯定的な側面にこそ積極的に目を向け,他者や人生や自分を肯定できるようになる必要がある。

 恵まれない境遇に生まれ育ち,現在も恵まれない境遇に身を置くなどして,世の中の否定的な側面にばかり目を向けるようになってしまった人が,自分が幸せであることに気づけるようになるためには,世の中の否定的な側面だけではなく,世の中の肯定的な側面にも広く目を向けられるようになる必要があります(世の中に否定的な側面があるのは事実ですが,肯定的な側面があるのも事実です。肯定的な側面に目を向けようとせず,否定的な側面にばかり目を向けるのは,否定的な側面に目を向けようとせず,肯定的な側面にばかり目を向けるのと同じく,余りにも偏った不公平(不公正)な物の見方と言えるのではないでしょうか。人の道に外れた悪行にさえ「反面教師」という側面はあり,また,死ぬことや病気になることや老いることにさえ肯定的な側面はあります。例えば,人間の致死率は100パーセントであり,人間は必ず死にますが,死があるからこそ生きる喜びがあり,生きる喜びがあるからこそ私たちは,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに感謝したり,自分がこの世の中に生まれてこれたことに幸せを感じたりすることができるのではないでしょうか。そもそも,本物の死を体験した人などいないのですから,死んでからのことは誰にも分かりません。死を否定的・悲劇的なものとして捉えること自体が間違っている可能性も否定はできません。)。そして,他者に対して心を開き,人生に明るい展望を持ち,自分を大切にできるようになることで,まずは,いま自分の目の前にある幸せに気づけるようになる必要があります。

 これは「言うは易(やす)く行うは難し」であるかも知れませんが,私たちの心には本来,バランスを保とうとする(バランスを回復させようとする)力が備わっています。具体的には,「誰も信じられない。」と思っている人の心の中にも,信じることのできる他者に巡り会いたいという気持ちがきっと残されていると思いますし,「生きていたって,いいことなんか何もない。」と思っている人の心の中にも,人生に対する希望を完全には失いたくないという気持ちがきっと残されていると思いますし,「自分なんかどうなったって構わない。」と思っている人の心の中にも,自分をこれ以上粗末に扱いたくないという気持ちがきっと残されていると思います。大切なことは,それらの気持ちをいかに呼び覚まし(それらの「かすかな声」をいかに聞き分け),強化していくか,ということなのではないでしょうか。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とも言うように,人間が大きく変化することは,文字どおり大変なことですが,できないと思えば,どんな簡単なこともできません。できないと思って諦めてしまえば,努力しないで済む分,楽にはなりますが,それでは何も変わりません。弱音を吐くことなく,絶対にできると信じて不退転の決意で臨めば,「窮すれば通ず」,「案ずるより産むが易(やす)し」というふうに,道は自然に開かれていく場合が多いのではないでしょうか。他者の支えや助けが必要な場合もあるかも知れませんが,人生を切り開いていくのはあくまでも自分なのであり,自分の人生を他者に切り開いてもらうことはできません。「下駄(げた)を預ける」ように自分の人生を他者に預けることはできないのです。

 そもそも,生まれ付き不幸な人間などいませんし,このような境遇に生まれ育てば,あるいは,このような境遇に身を置けば必ず不幸になるというような境遇などありません。境遇によって私たちの幸不幸が決まってしまうのなら,多くの人間にとって幸せであることは儚(はかな)い夢であり,恵まれない境遇にある人間は一生不幸のままということになってしまいます。それでは救いも希望もありません。幸不幸を決めるのは,最終的には本人次第,本人の心の持ち方次第なのであり,強い意志と勇気を持って自分の心の持ち方を変えることさえできれば(人間は何歳になっても変わることができます。世の中は無常なのであり,変わらないもは何一つないのですから。),たとえどのような逆境にあろうとも,たとえどのような困難や苦労に見舞われようとも,幸せになることは誰にでも可能であると私は信じています。

 人生はままならないものであり,「一難去ってまた一難」,「泣きっ面に蜂」,「前門の虎,後門の狼」などと言うように,人生に困難や苦労は付き物ですが,「明けない夜」や「やまない雨」はありませんし,「夜明け前が一番暗い」,「(楽あれば苦あり)苦あれば楽あり」,「(楽は苦の種)苦は楽の種」,「冬来りなば,春遠からじ」,「禍(わざわい)を転じて福となす」,「踏まれた草にも花が咲く」,「待てば海路の日和(ひより)あり」,「明日は明日の風が吹く」,「命あるところ,希望あり」,「笑う門に福来る」,「心頭を滅却すれば火もまた涼し」などとも言います。人生に絶望したり,自暴自棄になって人生を粗末に扱ったりしてはいけないのだと思います。宇宙的な規模で考えれば,私たちの人生は一瞬の出来事であり,私たちの悩みなど砂つぶほどの大きさも重さも有していない場末(僻地)の些事(さじ),あるいは,「コップの中の嵐」なのですから,何事も深刻に受け止め過ぎない方がいいのではないでしょうか。たった一度きりの人生です。たとえどのような逆境にあろうとも,たとえどのような不運に見舞われようとも,幸せになることを諦めることなく,すなわち,決して人間に対する信頼や人生に対する希望を見失うことなく(改めて言うまでもなく,人間を信頼するということは,他者のみならず,自分をも信頼するということです。),他者や人生や自分を肯定できるようになるための,生きていることやこの世の中に生まれてきことを肯定し,心から感謝できるようになるための前向きな努力を,「七転び八起き」,「一念(念力)岩をも通す」,「断じて行えば鬼神もこれを避く」といった気持ちで忍耐強く続けていくべきであると思います。私たちは,この世の中を否定し,不幸になるためにではなく,この世の中を肯定し,幸せになるためにこそ生きているのであり,この世の中に生まれてきたのですから。なお,この世の中を肯定できればこそ,この世の中で生きることや,この世の中に生まれてきたことに喜びや幸せを感じることができるわけですから,この世の中を肯定できるということは,私たちが幸せであるための必須条件ということになります。