「善意はとうとぶべきである,しかし過度に自己を犠牲にしての善意,それは〈中庸〉を失しており,かえって偽りに近づく」(『吉川幸次郎全集 5』,筑摩書房)
○自分の幸せを犠牲にしてでも他者の幸せのために何かをしたいと言う人がいます。しかし,私たちは,自分を大切にできるからこそ他者を大切にできるのですから,自分を大切にできない人が他者を大切にできるとは思えません。一見自己犠牲的に見える行動の裏には,何らかの見返り(例えば,相手からの感謝や世間からの称賛など)を求める気持ちが隠されていることが多いですし,その自己犠牲的な行動が,たとえ何ら見返りを求めないものであったとしても,他者の幸せを犠牲にすることで幸せになれ人は,そのことを本当に心の底から喜べるでしょうか(なお,改めて言うまでもなく,子供を愛し,大切にすることは,親にとってはそれ自体が喜びであり,幸せなのですから,子供に対する親の無償の愛情は,自己犠牲的な行動には該当しません。子供の幸せは親の幸せでもあるわけですから,子供に対する親の無償の愛情は,自己犠牲的な行動には該当しません。)。そもそも,幸せに人数制限などなく,心の持ち方次第で誰でも幸せになれるわけですから,誰かが幸せになるために,他の誰かが自分の幸せを犠牲にする必要などまったくありません。(16)関連