「経済効率を優先したときの鶏の姿がああだということは(まったく動く余地のない金網籠のなかに閉じ込められているということは),同じく経済効率を優先した社会の人間の姿がああだということである。」(『養老孟司の大言論Ⅰ 希望とは自分が変わること』,養老孟司,新潮社)
○何かを得るためには,何かを失わなければなりません。すべてを手に入れることなど,誰にもできないのです。私たちは確かに,経済効率を最優先することで,より多くのお金を手に入れることが可能になりますが,そのことによって失うものもきっとあるはずです。私たちは本当に,失うものに見合うだけのものを手に入れているのでしょうか。もしも,お金を手に入れることによって生きる喜びや幸せを失っているのだとしたら(実際,お金に執着し,拝金主義に染まれば,普通のつましい暮らしに生きる喜びや幸せを感じたり,生きていることそれ自体に価値を見いだしたりすることは難しくなってしまいます。),私たちはいったい何のために生きているのでしょうか。私たちはいったい何のためにこの世の中に生まれてきたのでしょうか。たった一度きりの人生に大きな悔いを残さないようにするためにも,自分の一生を台無しにしないためにも,私たちは何を手に入れるために何を失おうとしているのかということだけは,常に自覚していたいものです。(2)(11)(20)関連