「釈迦は,死後のことは,死んでみなければ知ることはできないとし,生前に死後について考え語ることはできないし無駄だと説いた。」(『葬式は,要らない』,島田裕巳,幻冬舎)
○どのような物事にも必ず一長一短があります。例えば,死ぬことにさえ肯定的な側面はあると思います。実際,死があるからこそ生きる喜びがあり,生きる喜びがあるからこそ私たちは,自分が今ここでこうして生きていられることに感謝したり,生きていることやこの世の中に生まれてきたことに幸せを感じたりすることができるのではないでしょうか(そもそも,死後のことは誰にも分からないわけですから,死を否定的に捉えること自体が間違っている可能性も否定はできません。)。したがって,物事の否定的な側面にばかり目を向けて肯定的な側面に目を向けようとしないのは,物事の肯定的な側面にばかり目を向けて否定的な側面に目を向けようとしないのと同じく,余りにも偏った不公平な物の見方と言えます。物事の否定的な側面にばかり目を向けていたのでは,人生に生きる喜びや幸せを見いだすことは難しく,やがては自分の目の前にある幸せに気づくことさえできなくなってしまいます。人生に生きる喜びや幸せを無限に見いだし,生きていることそれ自体に幸せを感じられるようになるためにも,物事の否定的な側面だけではなく,物事の肯定的な側面にも広く目を向けられるようになりたいものです。(4)(5)(6)(9)関連