実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

自分が信じる目標や理想に向かって前進し続けることこそが重要なのであり,他者との勝負や世間の評判などにかまけて時間やエネルギーを浪費すべきではない。

 人間的に成長(成熟)・向上し続けるというのは,自足しつつも(自分の人生に満足しつつも)謙虚さや向上心を失うことなく,常に自分の可能性に挑戦しながら,自分が信じる目標や理想に向かって(あるいは,より善い,より人間らしい生き方を目指して)自分の歩幅で一歩ずつ怠ることなく前進し続けるということです(自足してしまったら,そこで成長や向上は止まってしまうと考える人もいるようですが,不満のみが行動の原動力であるとは限りません。常に満ち足りた気持ちで暮らしながら,何歳になっても謙虚さや向上心を失うことなく,自分が信じる目標や理想に向かって前進し続ける人はいくらでもいるのではないでしょうか。)。他者に勝とうとして無理な背伸びをしたり,先を争ったり,世間から評価されようとして右往左往したり,自分の信念を捻(ね)じ曲げたりする必要などまったくありません(自分に嘘(うそ)をつけば,自分に対して合わせる顔がなくなり,自分との対面を避け続けた末に自分が本当にやりたいことが分からなくなってしまったり,いつしか自分が信じられなくなり,自分を嫌い,自分を憎み,自分を粗末に扱うようになってしまったりしかねません。)。世間の評判や多数者の意見(多数決の結果も含め。)がいつでも正しいとは限りません。また,否定的な意見は声高に表明されることが多く(対照的に,肯定的な意見は普通の声音で表明されることが多く,あえて表明されないことさえ多いものです。),声高に表明された意見には世間の注目が集まりがちであり,特に,その表明者が大きな影響力を持っている場合には,一時的には多数の賛同者を得ることもありますが,大切なのは意見内容の正しさや真っ当さであり,声の大きさや賛同者の数ではありません。判断や行動を誤らないようにするためにも,くれぐれも声の大きさや賛同者の数などに惑わされたり,踊らされたりしないようにしたいものです。

 「十人十色」と言うように,人間には人それぞれの生き方があります。自分の可能性を十分に花開かせ,思い残すことのない充実した有益な人生を送るためには,他者に勝ち,他者より多くの財産や高い地位や大きな権力を手に入れたり,世間から評価され,名声を手に入れたりすることよりも(それらは本来,好きなことに全力で打ち込み,最善を尽くした結果として後から付いてくるものであり,人生の目的とすべきものではないと思います。実際,それらを手に入れたからといって,人生が,真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せなものになる保証などどこにもありませんし,むしろ,それらに執着すればするほど,心の目が曇り,本当に大切なものを見失ってしまったり,心の平安を失い,不平不満,妬みそねみ,恨みつらみ,失意失望,自暴自棄といった心理状態にに自分を追い込むことになってしまったりする危険性が高くなります。また,好きなことに打ち込めるということは,それ自体が大きな喜びであり,幸せなことのですから,たとえ財産や地位や権力や名声などが後から付いてこなかったとしても,そのことで不平不満を言ったり,他者を恨んだり,運命を呪ったりすべきではなく,むしろ,自分が好きなことに打ち込めることの有り難さに心から感謝すべきであると思います。好きなことに打ち込めている人が,財産や地位や権力や名声などまで手に入れようとするのは,欲張り過ぎというものです。),自分の欲望に打ち克ち,財産や地位や権力や名声などに対する執着から解放されることや,自分が進むべき道を見失うことなく(あるいは,自分が進むべき道を見つけ出し),自分が信じる目標や理想に一歩でも近づくことの方が,よほど重要なのではないでしょうか。

 「勝ち組」,「負け組」などという言葉もありますが,人生の目的は他者と競い合って人が羨むような社会的成功を手に入れることではありません。また,改めて言うまでもなく,経済的な豊かさと心の豊かさはまったく別のことです(経済的な勝者が人生の勝者であるとは限らないにもかかわらず,経済的に貧しいことをことさら悲惨なものとして捉え,忌み嫌う傾向は,いったい何に由来するのでしょうか。)。そもそも,生きているということは,それ自体に大きな値打ちがあるのであり(生きているということは一つの奇跡です。この世の中にこれ以上の奇跡があるでしょうか。),他者に勝とうが負けようが,世間から評価されようがされまいが,その値打ちに何ら変わりはありません。命の目方はみんな同じです。生きていることそれ自体に幸せを感じ,心から感謝できるようになるなら,このことは実感としてよく理解できるはずです。

 他者との勝負など,しょせんは「団栗(どんぐり)の背比べ」,「五十歩百歩」に過ぎませんし,私たちと他者は,互いに支え合い,助け合ってこそ生きていられるのであり,私たちと他者はそもそも一体なのですから,本来は勝ちも負けもないはずです。また,世間の評判など,そのほとんどは,ちょっとしたことですぐに手のひら返しに変わってしまうようないい加減なものです。私たちは自惚(うぬぼ)れやすく,自分は世間から評価され,期待されている,自分がいなくなったら世間が困り,悲しむなどと勘違いしがちですが,実際には,世間は私たちに対して関心さえほとんど持っていませんし,私たちがいなくなっても世間は何も困らずに回っていきます。そのような世間に評価されないからといって落ち込んだり,評価されたからといって有頂天になったりすることほど馬鹿馬鹿しいことはないのではないでしょうか。毀誉褒貶(きよほうへん)に一喜一憂する必要などまったくありません。特に,他者の短所や欠点や弱みを指摘して平気で悪口を言えるということは,「目糞(めくそ)鼻糞(はなくそ)を笑う」,「青柿が熟柿弔う」などの類いであり,自分の短所や欠点や弱みが見えていないということ,すなわち,心の目が曇っていてあるがままの現実を見ることができていないこと,あるいは,他者の長所や美点や強みを認めるだけの器量(余裕)がないことの証左なのですから(「名人は人を誹(そし)らず」と言います。),そのような他者の言葉を真に受ける必要などまったくなく,「屁(へ)の河童(かっぱ)」くらいに思っていればいいのではないでしょうか。世間から高く評価されればうれしくなるのが人情ですし,日本人は世間の評判を過度に気にしやすい国民であると言われていますが,評価において重要なことは,評価してくれる人の数ではなく質です。なお,「出る杭(くい)は打たれる」,「大木は風に折られる」,「誉れは謗(そし)りの基(もと)」,「山高ければ谷深し」などと言うように,称賛されたり,脚光を浴びたりすることが多くなればなるほど,誹謗(ひぼう)中傷されたり,罵詈(ばり)雑言を浴びせられたり,足を引っ張られたりすることも多くなるのが世の常ですし(そもそも,人間は誰もが,長所と短所,美点と欠点,強みと弱み,肯定的な側面と否定的な側面の両面を備えているわけですから,称賛されるだけなどということはあり得ません。),調子に乗れば後で必ず痛い目を見ることになりますので,心の平安を乱されることなく,自分が信じる目標や理想に向かって前進し続けたい(そのことを通じて,自分の可能性を十分に花開かせるとともに,他者や社会の役にも立ち,思い残すことのない充実した有益な人生を送りたい)と願うのであれば,なるべく目立たないように慎み深く控えめに生きるのが賢明なのかも知れません。それでもなお,世間から評価されるような事態に至ってしまった場合には,他者から羨ましがられたり妬まりたりしないように細心の注意を払いつつ,一段と気を引き締めて慎み深く控えめに生きる必要があるのではないでしょうか。

 「負けるが勝(かち)」,「大賢は大愚に似たり」,「人は見かけによらぬもの」などとも言いますが,人生において他者との勝ち負けや世間の評判など,取るに足りないことです。もちろん,人間が生きていく上において世の中に適応することは欠かせませんし,私たちが,自分が好きなことに打ち込み,自分の可能性を十分に花開かせることができるのも,その他のことを他者が負担し,分担してくれているおかげなのですから,他者に対する感謝の気持ちや世間に対する関心を失ってはいけませんし,他者に対する支援や協力は進んで行うべきであると思います。また,自分を過信して独善に陥らないようにするためにも,自分の内外に対して常に心を開き,自分の心の声や他者の言葉(特に耳が痛いと感じられる言葉)に謙虚に耳を傾ける姿勢を保ち続けることは大切なことであると思います。しかし,他者との勝負にこだわる余り自分が信じる目標や理想に向かって前進することを怠ってしまったり,無責任で気まぐれな世間の評判に振り回された挙げ句,自分が進むべき道を見失ってしまったり(あるいは,自分が進むべき道を見つけ出せなくなってしまったり)したのでは,自分が生きている意味や,自分がせっかくこの世の中に生まれてきた意味がなくなってしまい,人生に大きな悔いを残すことになりかねません。

 たった一度きりの人生なのですから,心の目を曇らせることなく,心の平安を保ち続けるためにも,他者との勝ち負けや世間の評判などは余り気にせず(「君子危うきに近寄らず」,「逃げるが勝ち」,「三十六計逃げるに如(し)かず」,「和して同ぜず」,「人の噂(うわさ)も七十五日」などとも言います。),勇気を持って自分が本当に納得することのできる(自分に恥じることのない)生き方を貫き通すことや,自分が進むべき道を(自分が信じる目標や理想に一歩でも近づけるように)邁進(まいしん)することにこそ気持ちを集中し,限りある大切な時間やエネルギーを使いたいものです。