実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 人生は,すなわち,私たちがこの世の中で生きることのできるチャンスは,たった一度きりです。せっかくなら,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいものです。そして,できることなら,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送りたいものです。    私たちの土台を築いているのは,過去の経験,さらに言えば遺伝です。また,私たちが環境から受ける影響もけっして小さくはありません。しかし,それらによってすべてが決定されてしまうわけではありません。私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではありません。私たちには自由意志というものがあるのであり,過去を変えることはできませんが,現在や未来は自分の意志によって変えることが可能です。また,環境を自分の思い通りに変えることはできませんが,自分を変えることは自分の意志次第です。どのような過去を持とうが,どのような環境に置かれようが,人生を自分の努力によって切り開いていこうとする強い意志さえあるなら,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であると私は信じています。皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!                                                   *なお,このブログの内容のほとんどは,電子書籍(Kindle版『実り多い幸せな人生を送るために』)の形で御覧になることもできます。

【実り多い幸せな人生に関する名言等 470】

「無知が愚かなのではなく,知ったかぶりが愚かなのだ」(『一路』,浅田次郎中央公論新社

 

○自分は無知であるという自覚があるからこそ,真摯に学ぼうとする姿勢は維持されるのであり,人間的に成長(成熟)・向上し続けることも可能になるのではないでしょうか。したがって,自分は無知であるという自覚がある限り,無知であることは,まったく恥ずべきことではありません(そもそも,物事は,深く知れば知るほど分からないことも増えてくるのが普通なのであり,人間が無知な状態から脱することなど不可能なのではないでしょうか。)。むしろ,「自慢は知恵の行き止まり」とも言うように,生半可な知識を得て自分は何でも知っていると自惚(うぬぼ)れて慢心してしまえば,真摯に学ぼうとする姿勢を維持することは難しく,それ以上人間的に成長・向上することもできなくなってしまうわけですから,自分は無知であるという自覚を失ってしまうことこそが,恥ずべき愚かなことと言えるのではないでしょうか。人間は自惚れやすい生き物であり,特に,未熟な若者がその劣等感に押し潰されることなく自信を持って前向きに生きていくためには,多少の自惚れは必要であると思いますが,自分を人間的に成長・向上させ続けるためにも(そのことを通じて,この世の中において自分の可能性を十分に花開かせ,思い残すことのない充実した人生を送るためにも),自分は無知であるという自覚だけは決して失わないようにしたいものです。(2021年6月25日)(12)関連