「害を与えるくらいなら,何もしないほうがいい。この世の有益な仕事の半分は,有害な仕事と闘うことから成り立っている。」(『ラッセル 幸福論』,安藤貞雄訳,岩波書店)
○不平不満を募らせ,あるいは,失意失望の淵(ふち)に沈み,自分は不幸であると思い込んでいる人間は,ささいなことで自暴自棄になっては道を踏み外してしまいがちであり,また,他者を妬んだり恨んだりしては,他者の足を引っ張ろうとしたり他者をも不幸な状況に巻き込もうとしたりしてしまいがちです。しかし,そのような有害無益な人生を送ることに,いったいどのような意味があるのでしょうか。この世の中で生きることのできるチャンスはたった一度きりであり,また,私たちは他者の支えや助けがなければ生きていけないのですから,道を踏み外すことなく,他者と仲良く助け合い,幸せを分かち合うような有益無害な人生をこそ送りたいものです。少なくとも「己の欲せざるところは人に施す勿(なか)れ」という心構えや心がけで,できる限り他者に害を与えたり迷惑を掛けたりしないような人生をこそ送りたいものです。そのような有益無害な人生を送るためにも,私たちは幸せである必要があるのではないでしょうか。幸せであることは,有益無害な人生を送ることを願う真っ当な社会人にとっての義務であるとさえ言えるのではないでしょうか。(2021年3月17日)(3)(10)(11)関連