「人間というのはつくづくダブル・スタンダードな生き物だと思う。」(『君がいないと小説は書けない』,白石一文,新潮社)
○人間が犯す失敗や過ちは,誰もが犯す可能性のあるものばかりです。それなのに,私たちは,他者が失敗や過ちを犯すと,自分のことは棚に上げたまま,不寛容に責め立てたり,場合によっては罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせたりしてしまいがちです。そのようなことによって得られることなど何もないのに(あるとしても,一時的に優越感を味わったり,憂さ晴らしをしたりすることができるといった程度のことです。),なぜ私たちは他者の失敗や過ちを我が事として考えることができないのでしょうか。「情けは人の為(ため)ならず」とも言いますが,私たちと他者は本来一体なのですから,他者を大切にし,他者を益することは,必ず回り回って自分を大切にし,自分を益することにつながってきますし,他者をないがしろにし,他者を害することは,必ず回り回って自分をないがしろにし,自分を害することにつながってきます。自分を大切にし,自分を益することを願うのであれば,他者に対してもう少し寛容に,優しく,同じ人間同士として共感的に対応できるようになる必要があるのではないでしょうか。私たちは他者の支えや助けがなければ生きていくことができず,私たちと他者は一蓮托生(いちれんたくしょう)の関係にあるという事実を,改めて心に深く刻みたいものです。(2021年2月13日)(3)(11)(14)(17)(19)関連