「もし人が不幸であればそれは当人の罪であることを肝(きも)に銘じて忘れないがよい。なぜなら,神は人々を幸福であるために創造されたのであって,不幸に陥るために創造されたのではないから。」(『文読む月日(中)』,トルストイ,北御門二郎訳,筑摩書房)
◯同じような境遇に身を置きながら,常に満ち足りた気持ちで上機嫌に暮らしている人もいれば,常に不満を抱えて不機嫌に暮らしている人もいます。そのことからも分かるように,人間の幸不幸は境遇によって決まるのではなく,本人の心の持ち方,本人の心構えや心がけによって決まるのだと思います。私たちには生まれ付き幸せであるための条件がすべて備わっているのに,幸せであることが私たちのデフォルトであるのに,私たちは,欲を張り,より多くの物を求める余り,不平不満ばかりを募らせる結果となってしまい,挙げ句の果てには自分を不幸であると思い込むようになってしまうのではないでしょうか。私たちの人生には幸せがぎっしり詰まっており,私たちはすでに十分に幸せなのであるということに気づけるようになるためにも,自分の欲を抑え,できる限り無い物ねだりをしないでいられるように(自分が持っている物,自分に与えられている物だけで満足できるように)なりたいものです。(2020年9月27日)(1)(4)(6)(7)関連